ウォーキング 19

日経の「こころの健康学」に「体の感覚にだけ意識を集中」と言う記事が掲載されている。
内容は、運動がこころの健康の助けになる、と書いたところ、自分は運動しても気持ちが晴れないがどうしてか、との問に対する回答です。

その内容は、
その様な人はからだを動かしていても、実は体を動かしながら考え事をしている。
従って、動くときの体の感覚を意識したり、呼吸の変化に目を向けたりすると良い。
そうするうちに、体を動かすという本来の行動に集中できる様になり、こころの健康を取り戻す。
との事です。

この記事の内容に引かれました。以下は、私の思考の連鎖です。

まず、「運動」(からだを動かす事)は、意識して行うものなのか、と言う点です。腕を伸ばして何かをつかみ取ったり、駅まで歩いて行こうと思って歩行する事も、からだを動かすと言う動作(あるいは、運動)でしょう。この時、私達はからだを動かす事に集中しているのか。私の場合はほとんど無意識にからだを動かしているし、時には全く別の事、その時に気になっている事、例えば予定通りに駅に着けるか、と考えたりします。

とは言え、時にはからだを動かす事に集中します。例えばブログ「ウォーキング 4」で紹介しましたが、意識して歩隔(ホカク)を広げた歩きをしますので、からだを動かす事に集中する事は有る。ただし、この動作にからだが馴染むに従い、故意に意識しなくてもできるようになり、他の事を考えながらでもできるようになります。

では、からだを動かす事に集中して、その事に夢中になる事は無いのか。それも有ります。
だいぶ古い事です。我が家の庭(縦 12m 、横3mぐらい)を自分の肉体だけで隅々まで掘り返した事が有りました。その時、かなり広範囲でしかも深い所まで根を広げた切り株を掘り起こす作業をしました。全くの手作業で、小さなスコップで張り巡らされた根の間を掘り進めたのですが、この時は楽しくて掘る事に夢中で時間の感覚が有りませんでした。

この時、集中したのは手を動かすと言う運動(または、動作)なのか、目の前のこの絡み合った木の根の内側の土をどうやったら取り出せるかと言う工夫の仕方になのか。あえて言えば、どの様な手の動かし方をしたら良いのか、と言う「工夫の仕方」に夢中だったのでは無いでしょうか。

この様に、運動や動作の工夫に夢中になって我を忘れると事はできました。でも、どうやっても気が晴れない時にはどうするか。

かなり昔ですが、ある仕事に関して袋小路に入り込んでしまった事が有りました。仕上げなければならない期日が迫っていました。一方では、仕事を進める事が直ぐにはできない制約が有り、それは全く別な部門の判断に委ねられています。気持の中で、アクセルとブレーキが絡み合った状態がしばらく続きました。休日には午前中にウォーキングをしていたのですが、いっこうに気が晴れません。朝日を浴びる事の効果や幸せホルモンのセロトニンの分泌、などの事は知っていましたので、朝のウォーキングに期待したのですが、効果は有りません。ウォーキング自体が辛くなって来ました。

精神科に行って見ようか、と思い立って病院に行きました。事情を説明したところ、どの様な病名だったか忘れましたが、白い小さな錠剤が処方されました。また、上司には状況を話しました。そうしたら、数日後(多分、1週間以内)で、 嘘の様に全てが気にならなくなりましたし、程なく懸案の問題にも結論が出されたました。

薬の効果か、上司に話した事に意味が有ったのか、堂々巡りの状況から抜け出そうとした行為そのものが良かったのか、その全部なのか分かりません。でも、結果が良ければ全て良し、でしょう。

日経の記事は示唆に富む内容でした。「気持ちが晴れない」状況に置かれた方の周囲には、実は色々な選択肢が転がっているはずです。どれでも良いからまず試してみる、と言うのが答えではないでしょうか。

ちなみに、根っこ掘りはとても楽しいです。「病み付き」になります。

参考資料 :
体の感覚にだけ意識を集中 こころの健康学 2018年10月15日 日本経済新聞