忘れられた日本人

今朝の日経 文化欄に「一人の人生 独演の半世紀」が掲載されています。宮本常一の「土佐源氏」を基にした一人芝居だそうです。

私が新聞を開いて反応したのは、副題に有った「土佐源氏」でした。どこかで見覚えの有る言葉、です。

文を読んで直ぐに分かりました。宮本常一の「忘れられた日本人」に収められている話です。文中に出てくる乞食小屋、夜這い、ばくろう、などと言う言葉を読むと、「かっての日本」との思いです。ですが、夜這いと言う言葉は戦後生まれの私にとっては、もはや身近では有りませんが、乞食、ばくろう(馬喰)などは、まだ生活の中の言葉でした。

収められている13話の全ては、私にとって身近なものでは無いけれど、自分の子供時代の当時の人々の暮らしから、そんなにかけ離れたものでは無いように感じています。宮本常一の著作は何かに引かれるものが有り、かなり読みましたが、全てに共通する雰囲気があるように思っています。それは視点が一定だからなのでしょう。

ちなみに、この本の解説を書いている、網野善彦の著作も好きな分野でかなり読んでいますし、「日本社会の歴史」三部作は今でも本棚から引っ張り出して読んでいます。私が58歳頃から数年に渡って出版された「網野善彦著作集」は定年後に時間ができるから読もうと、全巻揃えたのですが、ロルフィングと言う世界に入り込んだために、未だに手がついていません。

二人の著作の対象は、日本を起点とする過去の事柄であるはずなのですが、そうでも無いのかもしれないと、気が付きました。例えば、乞食と言う言葉ですが、ホームレスに置き換わっているだけではないか。ブルーシートの小屋は土佐源氏に出てくる乞食小屋を現代風に置き換えただけ。

歴史と言う言葉には、カビ臭さが漂いますが、意外と外の包み紙が違っているだけなのかも知れません。

日経の記事からの、ひとときの思考の飛躍でした。

参考資料 :
一人の人生 独演の半世紀 日本経済新聞 文化欄 2018年9月20日
忘れられた日本人 岩波文庫 宮本常一
日本社会の歴史(全3冊) 岩波新書 網野善彦

宮本常一の故郷は、山口県の周防大橋である。島にある文化交流センターには、膨大な著書と共に懐かしい昭和の村落を撮り貯めた9万点もの写真が閲覧できる。 2018/11/26付 日経 コラム 春秋