プラシーボ :
【この項は、本来の目的である「re think」としてではなく、純粋にからだの仕組みの理解として興味深く読んだ。】
(P.241) 現代の認知科学における主要なアイデアの多くは、一世紀以上も昔のものだ。心を理解するには様々な方法があり、それぞれの価値について再考すべきだと気付かされる、認知行動療法が部分的には古代のストア主義に触発されている事や、ストア主義そのものが復活を遂げつつある。
(P.244) ヘルマン・ヘルムホルツ 楽音を構成する倍音振動数の分析。楽器の音色を構成しているのは、主に楽器の演奏されている「音」である基音ではなく、その上で鳴っている「倍音」の組合せの違いだと言う事を突き止めた。人工的に音色を作り出すシンセサイザーの原理。頭が内部処理によって異なる倍音の全てを結びつける事で、ようやく音を認識する。そのため、認識には自ずと無意識の推論と言うプロセスも含まれる。
(P.246) 人間の目が感じとるのは、単なる色と光のグラデーションにすぎない。このデータをすべて理解するために裏で頭が働いて、入手できる情報をまとめて、そこから感覚的な推論あるいは、無意識の結論を引き出している。世界はそこにある曖昧な手がかりから、頭の中でどうにかして合理的に再構築されているに違いない。無意識だとしても論理的推論は、知覚の基本的な部分なのである。
【知覚と関連する脳の働きについては、さらに先に進めて研究する必要を感じる。】
(P.246) 新しい認知心理学と言う領域がヘルムホルツのアイデアを取り入れ、おしすすめた。また、ヘルムホルツの洞察はまた、現代人の心が誤った方向へすすむとき、何が起きているのかを知る手がかりを与える。
(P.247) ヘルムホルツ「こうした対象はかならず、そこに無くてはならないものとして視野の中に存在するように想像されるが、それは神経のメカニズムに同じ印象を与えるためである」。ものを見るとき、すなわち何かを知覚するときには、あなたがその経験をするために、そこに無くてはならないものを想像していると言う事だ。
【私たちが認識しているものは、本当にそこに存在するものなのか、単に存在すると認識しているだけなのか。純粋な興味というよりも、使えそうな何かがありそうな気がする。】
(P.247) 「テーブルを見る」: 実際は、所々色のついた光についての感覚与件(sense data 色・形・音・匂い・味など)を取りこんで、適当にうまく結びついた場合は、もしテーブルが有ったなら、同じような色調の光のパターンを生み出すに違いないと見当をつけて、逆にテーブルを推論する。そうして、テーブルを知覚していると結論づける。
(P.248) チャールズ・サンダース・バースによる第三の推論「過程的推論」(人が持っているデータから、そのデータの原因となっている可能性があるものを推論する)。演繹(ある前提や事実から、その後に続くものを推論する)。帰納(過去について知っている事を前提に、何が未来に起こりそうかを推論する)。
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